トップページへ戻る

2007/05/08 辻、結婚。
できちゃった婚らしい。

しかしまぁ、
もう大人なんだとか、
懐妊おめでとうとか、
周りの言葉はどれも不可思議だ。

手を繋がないと外を歩けないような、
病的に精神が未発達だった辻が、
人の一生を背負えるほど大人になったというのか。
突拍子がない。
それとも肉体関係を結べば大人に?
そんなバカな。

子供の妊娠によって、
彼女が裏で死ぬほど苦しんでいたのかもしれない。
親戚から罵声を飛ばされ、
関係が修復不可能になった可能性だって十分ある。
自分の妊娠を日本中に知られることは嬉しいことだろうか。
自分の肉体関係に関する決定的証拠を報道され、
精神的に参っているかもしれない。

将来について一人で深く悩んでいるとしたら?

そんな可能性を薄めることが出来ない中で、
「おめでとう」と言う言葉は、
全く場違いに空気を揺らしている。

めーぐるがどうなったか、
矢口がどうなったか、
彼らはもう忘れてしまったのか。

祝うのは会見の彼女の顔を見てからでも、
何も遅くないと思っている。

辻が好きな浜崎あゆみ。
彼女の歌詞の中でも僕が特に好きなフレーズがある。

恋人達は とても幸せそうに
手をつないで歩いているからね
まるで全てが そうまるで何もかも
全てのことが 上手くいっている
かのように 見えるよね 真実(ホントウ)の
ところなんて 誰にもわからない

今、僕らに出来ること。

信じることと、
祈ること。

そう、つまり、お幸せに。



このテキストの題が、
何故か滑稽な駄洒落のように思える。

どうしてこれほどに実感が沸かないのか、
正直よく分からない。

他人の結婚話など
元より実感も何もないはずなのだが。

まるで現実と剥離している。

何故そんなことを感じるのだろう。
何故僕は
加護の件を先延ばししたにも関わらず、
この件をリアルタイムで書くことにしたのか。

辻希美という存在が何かとてつもないもののように思える。
Comment * 0
2007/02/27 桜チラリ (3)
日を開けてしまいましたが続きを。



「桜チラリ」の魅力。
それはまず愛理ありきである。

ヲタの過大評価ばかりが先行しているが、
愛理の(いわゆる)歌唱力はそれほどではない。
ただし歌い手としての底力は(私的見解として)優秀である。
そしてここに来てようやく、
愛理の良さが℃-uteの中に染み出してきたように思える。

もちろんその感覚は、
全く℃-uteに馴染みを持たず、
リアルタイムで活動を追ってもいない、
外輪の人間の感覚に過ぎないのではあるが。

愛理本来のカラーは、
コルネットのようなとろーんとした柔らかさだ。
あぁ!の「FIRST KISS」や今回の「桜チラリ」のような
ミディアムテンポの曲をゆったり歌い上げるとき、
愛理の底力は発揮される。

僕が知る限りでは、
℃-uteは明るくポップなグループだ。
しかし愛理はそれよりももっと
のんびりしたグルーヴを持っていると思う。

今回の℃-uteの路線は、
その大きな2つの方向性をまとめたような感じがする。
つまるところ、曲調が愛理独特のカラーとしっかり適応している。
そして(これは結果論にしか過ぎないが、)
この試みは大成功だった。

愛理は元々力関係で他から浮いていた。
しかし愛理はB型で元々そういう人間でもあるのだ。
こうして浮遊させるのが一番の策だったのかもしれない。

「桜チラリ (2)」で書いたように
唯一の対抗馬であっためーぐるの脱退によって、
愛理単独での活躍を阻止する勢力がなくなったことは
不幸中の幸いであろう。

しかも単純なワンマンチームとなったわけではない。
他のメンバーの成長度も決して見逃せない。
彼女たちが愛理の後ろでかすんでいては、
グループとしての価値は失われる。
そしてそれ以上に彼女たちの輝きは無視できないものだ。

特にまいまい、
ちさと、
さっきー、
そして栞菜は、
若さを存分に活かした可愛らしさを存分に放っている。

もはやかつての日陰者としてのイメージは払拭され、
℃-uteはハローの最前線に立っている。

ファンの中での人気がどうなっているか、
売り上げでどうなっているか、
それは知らない。
僕の論はあくまで、
音楽作品の総合的な出来栄えだけに基づいている。
そういう意味での最前線だ。

℃-uteは、
ボーカルと人気で単独トップに君臨しながらも
グループを単色に染める気配が一向に感じられないエースと、
人気メンバーに引きずられることなく
個性を自由に引き出し合えるその仲間たちによって、
実に充実した魅力を得ている。

Berryz工房が、
張り詰めた緊張感と高い向上心で
堕落したハロー界隈を風靡したのに対して、
℃-uteはその土台の上で、
自由を謳歌するグループであるといえるであろう。

ベリは枯れ木を焼き払い、
キュートはそこに麦畑を作った。
これが我々が認識すべき℃-uteの形ではないだろうか。



以上で「桜チラリ」のシリーズは終了です!
お疲れ様でした!(笑

曲のレビューになりませんでしたねw
久々のレビューなのでやはり全体像に言及してしまいます。

実はまだ一回しか聞いてないんですよ、「桜チラリ」を。
具体的に中身を探るのではなくて、
衝撃を受けた感覚を書き表したかったんです。

モーニングの「笑顔YESヌード」や「歩いてる」、
ベリの「VERY BEAUTY」も聞きましたが、
(「胸さわぎスカーレット」は未聴)
3曲とも歌に入った直後に再生を止めました。
Bメロまで持ちませんでした。
酷いものでした。

ハロプロとはこんなにも酷いものだったのかと思いましたが、
かつての盤を聴くとそういう訳では全くない。

いまや“娘。本体”が急速に俗化しているようで、
「歩いてる」のPVで歩く高橋も藤本もただの田舎者に見えた。
かつて無敵を誇ったあのBerryz工房ですら、今は見る影もない。

℃-uteは現ハローで唯一まともに戦える、
そして唯一ハローを象徴できるユニットであるように思う。

だから台頭した。
Comment * 0
2007/02/22 桜チラリ (2)
思った通り、
現ハロプロのメインパフォーマーは℃-uteだ。

あの落ちこぼれ軍団が、
ここまでハローの勢力図を書き換えるとは思わなかった。

泥舟だというのは簡単だ。
誰が今の状況を予想できただろうか。

非ベリに名前をつける形で発足。
グループ名をもらってなお、ぐだぐだ。
さらに事務所の体裁保持のためであろうエッグ押し入りを受けた。
その末に捻出したデビュー作がDVDソフトという肩透かし。

“取り残された感”だけはいつも強く漂った。
それが℃-uteだった。

ハロプロキッズ内で菅谷とトップを争う非ベリ最強メンバー、
鈴木愛理のワンマンチームかと思われたが、
特別なリーダーシップを発揮するわけではなかったし、
知名度を上げた他メンバーも鈴木に比肩するわけではなかった。

そんな中、
ZYXで清水とともに確かなキャリアを積み、
℃-ute内では珍しく外に働きかけるベクトルを強く持ち、
カリスマ性でも鈴木と相対した村上がいた。

今までの℃-uteの成果の多くは、
鈴木ではなく村上が築いたものだと思われる。
その村上が脱退。

突出したファンタジスタはいまだ中盤に健在しているものの、
前線で一身にボールを受けてきた点取り屋が抜けて、
攻撃陣は完全に決定力を失った。

それが現在の℃-uteの姿であるはずだった。

しかしどうだろう。
この一連のテキストのタイトルに掲げている
メジャー第一弾シングル「桜チラリ」は、
その印象とは全く違ったものだった。
Comment * 0
2007/02/21 桜チラリ (1)
久しぶりのbido更新です。

最近はミクシに常駐していますが、
物書きとしているわけではありません。
bidoで書いていたことが書けない不満もかなりあります。

今は素直を頻繁に動かして凌いでいますが、
いずれまたbidoと素直でバランスを取っていきたいのと、
あとは最近またハローの熱が再浮上してきたというのもあって、
約一年振りとなるbidoリニュに向けての構想を
本日から練り始めています。

幸い仕事中にも少しは作業できますし(笑、
仕事で得たノウハウも活かせると思いますので、
リニュの実現性は高いんじゃないかとかと思ってます。

何より更新意欲が沸いているので。
本当にもう、これが一番大切というか、サイトの命ですからね(笑。

僕は、更新意欲はアップダウンはあっても、
意欲が枯れるということは決してないと思っていて、
再び更新意欲が上がるのを待つ、
という意味での更新停滞や凍結を僕はアリだと思っています。

そして現在までの状況はまさにそれである、と。

そんな御託はこれくらいにして、
今日は思うまま、ハロプロの話題を書き連ねたい次第であります。



少しだけデザインを調整。

bidoには珍しく行間を狭めたデザインでしたが、
それを通常通りの行間に戻しました。

>分かる人向け
全ページ共有CSSファイルからline-height:0.8em;をコメントアウト。
Comment * 0
2007/01/21 虹色のアルバム
モーニング娘。7枚目のアルバム「レインボー7」を聞いてます。

久々に聞いたわけですが、
こんな名盤だったのかと驚いています。

様々な色を醸し出す楽曲の群れが
どうしようもない切なさを胸の奥に発生させてしまう効力は、
まさしく音楽の干渉そのものであり、
感動そのもの。

一貫された作品群が有する魅力を存分に持ち、
斬新とも、低俗とも取れる方向性に、ブレを感じさせない。

僕はそれを、
かつての楽曲ファンがしきりに叫んだ
「ロック」なのではないだろうかと思っている。
こんな都合の良い判断に身を任せることが何故か気持ち良い。

ハロープロジェクトは烏合の衆かと思っていたが、
何かしらの計画のことなのかも知れない、
と勝手な推測をしたくなる。

都合の良い判断。
勝手な推測。
これは僕らの黄金期を支えていた要素だ。

つまり、
彼女達は僕の中でまだ死に絶えていないということになる。
Comment * 0